【メスキータでレコンキスタ】世界遺産と歴史を知ろう!
スペインにハマって10年目のゆみです。
毎年1〜2週間スペインへ行きます。
スペインであれば行き先はどこでも良い。
世界遺産が見られて、郷土料理が食べられて、ワインが飲めて
スペイン人の暮らしの中に溶け込めればなんだって良いのです。
今回はスペインでも有名な世界遺産の一つ、
メスキータの魅力を
秘められた歴史と共にお伝え致します。
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- メスキータとは
- メスキータの起源
- メスキータにおけるレコンキスタ
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1. メスキータとは
スペイン南部アンダルシア地方にある
【Córdoba 】
コルドバメインの駅から徒歩20分ほどの場所にある
【Mezquita】
メスキータ
メスキータとは、
スペイン語でモスクの意味
(モスクとはイスラム教の礼拝堂、アラビア語に由来する、マスジド )
しかし今は
【Catedral de Santa Maria de Córdoba】
聖マリア大聖堂のカトリック教会として、
またスペインを代表する世界遺産の一つとして広く知られています。
イスラム教のモスク
カトリックの教会
そう、この二つが共存する
とても珍しい造りとなっています。
どちらも垣間見れる建造物や街は
スペインでも数少なく、世界的にも稀です。
2. メスキータの起源
ではどうしてイスラム教のモスクの名で知られていてキリスト教の教会となっているのか。
とても不思議ですよね。
歴史を辿れば辿るほどとても興味深い内容なので
私なりにできるだけ分かりやすくまとめてみました。
7世紀ごろ
西ゴート王国が(今のフランスとスペインあたりに)あり
しかしながら西ゴート王国は王位継承などで国力が弱っており
西ゴート王国を破りました。
756年、そこにアラブ帝国(アラブ・イベリア半島あたり)のウマイヤ朝
ウマイヤ家の王族アブド・アッラーマン1世が
このアブド・アッラーマンは750年に
母の故郷であるモロッコに身を隠していました。
ウマイヤ朝再興のため、
ウマイヤ王族にこころを寄せていたアンダルシア豪族を頼りにして
コルドバに本拠を置いたのです。
そのアブド・アッラーマン1世により、
新首都にふさわしいモスクを作ろうと
785年に建設されたのがこのメスキータ(モスク)
キリスト教徒も同じ啓示の民として尊重していた彼は
その教会の土地を買い取り、教会の取り壊しをしてメスキータ(モスク)を作りました。
それから848年、961年、987年と今の大きさまで拡張されていきました。
建設当時メスキータの象徴でもある赤・白の石柱は
18列、1,012本もあったとか。
一度になんと約6万人の信者が礼拝に参加することができたそう。
アーチは全て二段になっており
安定感を持たせるためだとか高さを出すためだとかも言われています。
今存在する柱は850本とのことですが
それはそれは圧巻の見応えです。
3. メスキータにおけるレコンキスタ
【Reconquista】
レコンキスタとは何か。
イスラム教の象徴メスキータ(モスク)の起源は分かりましたよね?
ではなぜ今大聖堂の教会となっているのか。
レコンキスタがその謎を秘めています。
メスキータにおけるレコンキスタも私なりにまとめてみました。
そのキリスト教徒系の王国はイベリア半島の北部で王国を守り続けており、
やがて反撃に出てじわじわと南の方に領土を拡大していきました。
国土回復戦争をレコンキスタと言います。
1236年、フェルナンド3世によってレコンキスタがなされました。
そしてこのメスキータがカトリックの教会として転用されるにあたり何度も改装を重ねていったとのことです。
しかしながらこの改装を手掛けた建設主任は
メスキータの価値を十分に理解していて設計や施工に苦心を重ね
メスキータの素晴らしさを残しながら大聖堂を造ったとのこと。
今ではメスキータと教会の荘厳さが相まって人々を魅了しています。
みなさまもスペインに行かれた際は
イスラムの文化も感じてみてくださいね。
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今回もお読みいただきましてありがとうございます。
みなさんもスペインの中のイスラム文化を教えてください!